フカクサセキヤシキチョウ/現在の京阪墨染駅の西北
関一政の屋敷跡
戦国期関俊盛が伊勢亀山の城主となり、一政の時蒲生氏郷に属し氏郷が会津若松城主だった時白河城5万石を領す。
関ヶ原でははじめ西軍で、のち東軍に属し、戦後旧領亀山城に移ったが、元和4年(1618)改易され、子氏盛が近江国蒲生郡において、5000石を与えられ寄合に列し家名を存続。