桃山町大蔵

モモヤマチョウオオクラ/現在の伏見桃山城のある場所

長束大蔵少輔正家(ナツカ オオクラ ショウユウ マサイエ)の屋敷跡

出自は明らかでない。

はじめ近江佐和山・大溝各城主の丹羽長秀、ついで長重に仕えた。

天正13年(1585)まで長重に仕えて越前府中城にいたが、財務に長じているのを秀吉に見込まれて、同年7月秀吉の奉行衆に抜粋された。

そのときの官途は従五位下、大蔵少輔。

文禄3年(1594)伏見城の造営に大きな役割を果たす。

翌年近江水口5万石に封ぜられ大名に列し、以降累増し関ヶ原の戦い直前には12万石を領し、従四位下侍従に昇る。

関ヶ原の戦いで西軍につき敗れて、自害する。

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