モモヤマチョウイズミ/現在の京阪桃山南口の東北
藤堂 和泉守 高虎の屋敷跡
はじめ浅井氏に仕え、元亀元年(1570年)の姉川の戦いにも出陣、のち織田信澄、羽柴秀長さらに秀吉に仕え、伊予板島(のちの宇和島藩)城主8万石余となる。
関ヶ原の戦いには東軍に属し、伊予今治(イマバリ) 20万石に加増転封、子孫は伊勢国津城主として幕末に至る。
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