深草佐野屋敷町

フカクササノヤシキチョウ/現在のスーパーイズミヤの東北

佐野修理太夫房綱、佐野信吉(佐野房綱の養子)の屋敷跡

佐野氏は秀郷流藤原姓の足利氏の支流で下野国佐野庄(現佐野市)に住す。

永禄年間北進する北条氏と南下する上杉謙信との間に挟まれて、存亡の危機に直面、佐野氏はもっぱら北条方に属した。

小田原の役で氏忠(北条氏康の五男で佐野家を継ぐ)は小田原城を守り開城後は高野山に入る。

一方京都黒谷に隠棲した佐野房綱は秀吉に招かれ、案内者として小田原の役に参加、唐沢山城を開城させた功により佐野家を継ぐ。

秀吉の臣富田知信の五男信吉を養子とし、慶長6年(1601)に没す。

信吉は同19年の大久保長安事件及び前年の兄富田信高改易事件に連座、改易された。子孫は旗本となる。

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