ヨコオオジミスヤマシロヤシキチョウ/現在の三栖公園の南
山中山城守長俊の屋敷跡
山中氏は近江国甲賀郡山中村を本貫とする土豪で、宗家から分かれた庶流から山中為俊、山中長俊父子が出た。
為俊は六角氏、のち織田信長に仕え、長俊は本能寺の変以降柴田勝家に属した。
天正11年賤ヶ岳の戦で柴田家が没落すると、丹羽長秀に属した。長秀没後、秀吉に召し出され豊臣政権下では右筆(ユウヒツ)として活躍。
文禄2年(1593)秀吉直轄領の代官を歴任、同年山城守に昇叙された。
翌々年 1万石の大名に列す。
関ヶ原では西軍に属したため改易、捨扶持で徳川氏に仕えた。
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