モモヤマチョウタンゴ/現在の京阪桃山南口の東
西尾 光教(ミツノリ)の屋敷跡
西尾光教は美濃の戦国大名斉藤氏の重臣美濃三人衆の一人氏家ト全(ウジイエ ボクゼン)の被官であったが、やがて自立し秀吉に仕える。( 2万石を領する)
関ヶ原の戦いでは東軍に属し、岐阜城攻撃、さらに大垣城攻撃に功をたてた。
この戦功により1万石を加増され、美濃国大野、本巣、加茂、安八4郡の内において3万石を領し揖斐城に居す。
元和元年(1615)大阪夏の陣でも手柄をたてたが、その年10月駿府において73歳で没す。
元和9年嗣子(シシ)なく断絶。
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