桃山福島太夫西町

モモヤマフクシマダユウニシマチ/現在の京都教育大学付属桃山小学校の東

福島左衛門太夫正則の屋敷跡

(以下「桃山福島太夫南町」「桃山福島太夫北町」と同じ)

天正6年(1578)以来、豊臣秀吉に従い各地で歴戦し、功をあげる。

同11年(1583)賤ヶ岳の戦いでの勇戦が知られ、俗に賤ヶ岳の七本槍の筆頭。

同13年(1585)伊予国今治10万石の城主。

文禄元年(1592)文禄の役で朝鮮に渡る。同4年(1595)尾張国清洲24万石城主。関ヶ原の戦いでは東軍に属し、島津義弘軍を破る。

戦後、安芸国広島49万8千石城主。元和3年(1617)従三位参議。

同5年禁を犯し広島城を修築したため、所領を没収され、信濃に移され蟄居、病没した。

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