モモヤマチョウシマヅ/現在の桓武天皇陵の西南
島津義久、義弘、家久の上屋敷跡
(以下「島津町」と同じ)
島津氏は秀吉より旧領を安堵され、文禄の役、慶長の役に従い、さらに関ヶ原の合戦で義弘は西軍に属し家康と対立したが慶長7年(1602)家久が家康に謝罪し本領を安堵される。
家久は文禄3年家督を継ぐ。