モモヤマチョウホンダコウズケ/現在の桃山小学校(乃木神社の西)の南
本多 上野介(コウズケノスケ) 正純(マサズミ)の屋敷跡
19歳で家康に仕え、父正信とともに近侍の謀臣として信任を得る。
関ヶ原の功により、下野国小山(シモツケノクニ オヤマ)、近江国において3万2,000石、大阪の陣でも活躍、武家諸法度の制定にも参画、家康死後の元和2年(1612)日光山東照宮の造営奉行。
元和5年下野国宇都宮15万石徳川秀忠の執政として権勢をきわめたが、幕閣の策謀により失脚する。
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