明治天皇陵

陵墓の形は天智天皇の御陵に模して、上円下方墳とし、外装はすべて光沢のある小豆島のレキ砂をもっておおわれている。

上円の内部に東西約4.2m、南北約5.4mの石室が設けられ、そのなかに厚さ66㎝、高さ約1.8m、長さ約2.5m、幅1.8mの木槨(モクカク)をおき、石炭をつめて柩を保護している。

御陵の広さは東西127m、南北155m。

御陵から南を望むと、大和・河内の山々が一望できる。


【第122代 明治(メイジ)天皇】

(以下、新人物往来社別冊歴史読本入門シリーズ『歴代天皇125代』より抜粋)

①生誕~崩御(御寿):嘉永5.9.22~明治45.7.30 (61)

②御名・異称:睦仁(ムツヒト),祐宮(サチノミヤ)(幼名)

③御父:孝明(コウメイ)天皇

④御母:中山慶子(ナカヤマヨシコ)

⑤后妃:皇后・一条美子(イチジョウ ハルコ)(昭憲皇太后)、典侍・柳原愛子(ヤナギハラ ナルコ)

⑥践祚・即位(在位年間):慶応3.1.9 践祚 慶応4.8.27 即位 (46)

⑦皇居(所在地):東京(東京都千代田区)

⑧御陵(所在地):伏見桃山陵(京都市伏見区桃山町)

⑨逸話:この天皇は維新の原動力となり、近代日本の建設に指導的役割をはたした。慶応3年、将軍慶喜の大政奉還をうけて、王政復古の大号令を発した。翌4年、五箇条の御誓文によって、新しい政治の方針を明示し、年号も「明治」と改め、一世一元の制を打ち出した。翌、明治2年、東京へ遷都。半世紀に近い治世に、アジアで最初の憲法を作り、「皇室典範」を定め、「教育勅語」を発布して、立憲君主制を確立した。広く海外にも目を向け、日清・日露戦争に勝利を得て、日本を世界の強国へと導いた。

⑩御製:あさみどり 澄みわたりたる 大空の 広きをおのが 心ともがな(明治37年明治天皇御集)

・参拝時間 8:30-17:00
・最寄り駅 京阪本線「伏見桃山」より徒歩-分/近鉄京都線「桃山御陵前」より徒歩-分/JR奈良線「桃山」より徒歩-分
・地図 http://goo.gl/eUQVn2
*情報は記事を書いた時のものです。