フカクサセンゴクヤシキチョウ/現在の京阪墨染駅の西北
仙石越前守秀久、仙石兵部大輔忠政(秀久の子)の屋敷跡
仙石秀久は豊臣秀吉に仕え各地に戦功をあげ、天正8年(1580)淡路国洲本城5万石を領す。
同13年四国征伐後、その功により讃岐国一国を与えられ高松城主となる。
九州出兵に先発したが島津勢に敗れて一時所領を没収され、高野山に謹慎した。
同18年徳川家康を頼って小田原の役に従軍し、功あって信濃国小諸城主5万石の大名として復活した。
関ヶ原の戦は子の忠政とともに中山道を進む秀忠に従い、信濃上田城攻めに加わる。
なお忠政の兄にあたる秀範は、関ヶ原の戦いのとき西軍に属し、大坂の陣のときも大坂城に入り秀久から廃嫡されている。
秀久の死後、忠政があとを継いでいる。
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