深草加賀屋敷町

フカクサカガヤシキチョウ/現在の近鉄伏見駅の西北

前田筑前守大納言利家、前田肥前守中納言利長(利家の長男)、前田筑前守・肥前守中納言利常(利家の四男)の屋敷跡

前田利家は天正3年(1575)織田信長から越前二郡を与えられ柴田勝家の与力となり、これをふりだしに同9年能登20万石七尾城主となる。

本能寺の変後柴田勝家に同調しつつも豊臣秀吉とも連帯し、賤ヶ岳合戦後加賀二郡を加増され金沢城主となる。

秀吉の晩年利家は五大老に列し豊臣秀頼の補佐役となり秀吉死後の混乱の中で病没した。

利家の死によって歯止めがなくなった対立の中で、嫡子利長は危険な立場にたたされたが道を誤らなかった。

関ヶ原の戦には徳川家康方に参加し、その功により加賀・能登・越中3国にまたがる119万石の大大名の地位を築いた。

慶長10年(1605)利長の養嗣子となっていた利常が前田家を継ぎ、同19年(1614)大坂冬の陣に参陣して先駆となり、翌年夏の陣には兵3万を率いて軍功をあげる。

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2008年12月 1日 17:26 | コメント(0)