モモヤマチョウイタクラスオウ/現在の乃木神社の東
板倉伊賀守勝重、板倉周防守重宗(勝重の長男)の屋敷跡
勝重は出家していたが天正9年(1581)弟定重が高天神城攻めで討ち死にしたので、還俗し家督を継ぎ江戸町奉行、京都町奉行、所司代、慶長8年(1603)従五位下伊賀守、同14年山城国・近江国の内で1万6,610石を領する大名になる。
勝重は大阪の陣においても京都にあって所司代としての任務を果たす。
元和6年(1620)2万7,000石 重宗は同14年従五位下周防守に叙任。
大坂冬の陣に従軍し、近侍に列する。
御書院番頭(ゴショインバン ガシラ)を兼ねる。
元和6年(1620)父のあとを襲い京都所司代を勤める。
在職30余年に及び、名君と誉れ高い父と並び称せられた。
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