幕末の元治元(1864)7月19日未明、長州藩家老の福原越後はここ伏見長州藩邸から武装した約500名の兵とともに、京へ進軍しようとしました。
その途中、伏見街道の稲荷付近から竹田街道を守る大垣・会津・桑名・鯖江の藩兵と衝突、禁門の変が勃発しました。
福原が率いる長州勢は敗走して伏見藩邸に立ち戻り、態勢を整えて打って出ましたが、彦根藩や他の連合軍が京橋から伏見藩邸を砲撃、このため伏見長州藩邸は焼け落ちてしまいました。
(碑文より抜粋)
石碑の場所は京都市伏見土木事務所前にあります。
・最寄り駅 | 京阪本線「伏見桃山」徒歩8分/京阪本線「伏見桃山」徒歩4分/近鉄京都線「桃山御陵前」8分 |
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