江戸時代、ここに薩摩島津家の伏見屋敷があり、参勤交代のため江戸と薩摩を往復する際の当主の滞在地としました。
【天璋院篤姫洛中洛外滞在時の宿泊地】
のち13代将軍徳川家定の正妻となる、島津斉彬の養女篤姫(天璋院)も、薩摩から江戸にむかう途中の嘉永6年9月29日(1853年10月31日)、この屋敷に入りました。
ここを拠点に、10月2日洛中の近衛家、同4日萬福寺(現宇治市)を訪問、同6日伏見をたちました。
【坂本龍馬 寺田屋脱出後 避難之地】
慶応2年1月23日(1866年3月9日)深夜、蓬莱橋のたもとの南浜町の寺田屋で、土佐亡命志士坂本龍馬が、薩長同盟成立の重要人として、伏見奉行所役人の襲撃を受けます。
重傷を負いつつ脱出した龍馬は、濠川沿いの村上町の材木納屋に潜伏、妻龍(のち鞆)や長府毛利家臣三吉慎蔵の通報により、薩摩伏見留守居役大山彦八に救出され、この地に避難しました。
(碑文より抜粋)
石碑の場所は松山酒造前にあります。
・最寄り駅 | 京阪本線「丹波橋」徒歩-分/近鉄京都線「丹波橋」徒歩-分 |
・地図 | http://goo.gl/o6t4Xs |
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