ヒゴマチ/現在の竹田街道が東西の通りになる部分
加藤 肥後守 清正 [最初主計頭 ( カズエノカミ ) ]の屋敷跡
賤ヶ岳七本槍の一人、天正16年(1588)肥後半国(熊本城主)、文禄の役で先陣、慶長の役でも先陣、関ヶ原の戦いでは東軍につき家康から肥後一国を宛行なわれ肥後守に任ぜられた。