伏見城跡(指月城)発掘調査

豊臣秀吉が建てた初代伏見城(指月しげつ城)の長さ35メートル以上にわたる石垣や堀の遺構が見つかりました。

場所は桃山丘陵の南辺断面に近い「指月の地」とも称されるところ、本丸の主要施設があった場所の西側とみられます。

 

写真は6月20日、発掘調査「現地説明会」の様子。

 

 石垣は一辺1メートル。上部が削られているため、本来はさらに高かったとみられる。ほぼ自然石のまま組む「穴太(あのう)積み」に通じる手法で、秀吉が1587年に京都に築いた豪華な邸宅「聚楽第」の石垣と構造が共通していた。地震の影響を直接裏付ける痕跡は見つかっていないという。

 石垣と並走する塀は幅5~7メートルほど。深さは約2メートルだが、本来は4メートル以上あったと見られる。堀からは大量の瓦や土器のほか、文様が異なる金箔瓦が約100点出土。聚楽第跡でも確認されている。秀吉ゆかりの桐の紋をを施した瓦もあった。堀は地震後、倒壊した建物の瓦を投棄して整地されたらしい。

(朝日新聞より)

 

【 指月城と木幡城 】

 安土桃山時代 指月の地に、天下人となった豊臣秀吉が1592年に隠居屋敷を建設。しかし、建設後まもなくこの隠居屋敷は壮大な城郭に造り替えられます。「指月の城」とも呼ばれたこの城郭は1596年の伏見地震により倒壊してしまいます。

 この直後、現明治天皇陵を含む木幡の山上に場所を移し、1年後には天守や各殿社が完成します。「木幡の城」とも呼ばれるこの城郭で、秀吉は1598年この城で亡くなりました。

「伏見城」とは、「指月城」と「木幡城」を総称していうそうです。

(現地説明会資料より抜粋)

 

・調査地 京都市伏見区桃山町泰長老176-6
・調査期間 平成27年4月13日~7月13日(予定)
・地図 https://goo.gl/E2qqE1
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