桃山最上町

モモヤマモガミチョウ/現在の京都市立桃山中学校の北

最上義光(ヨシアキ又はヨシミツ)、家親の屋敷跡

最上義光は13代将軍義輝の一字を与えられて義光を名乗る。

出羽国山形城を居城とし、天正5年 (1577)天童城主最上頼澄を討ち、上杉景勝・伊達政宗らと抗争。

同18年(1590)小田原に赴き豊臣秀吉に謁見(エッケン)し本領を安堵される。

翌年侍従。慶長5年(1600)関ヶ原の戦に徳川家康が西上すると、その子結城秀康を援け直江兼続(ナオエカネツグ)の率いる上杉景勝の兵と戦う。

戦後、功により上杉氏の旧領出羽国庄内を加えて57万石に封ぜられ、慶長16年(1611)左近衛少将(サコンエ ノ ショウショウ)兼出羽守に任ぜられた。

義光の死(慶長19年)後その子家親が不可解な死をとげ、その後、家親の子義俊が立ったが、家臣等は派閥抗争にあけくれし、如何ともし難い状態となった。

ついに元和8年 1622)幕府は最上領と城地の没収を命じ、義俊は近江八幡1万石を与えられた。

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