桃山長岡越中東町

モモヤマナガオカエッチュウヒガシマチ/現在の京都教育大学付属桃山中学の東

細川(長岡)藤孝(幽斎)、細川越中守忠興(三斎)の屋敷跡

(以下「桃山長岡越中南町」「桃山長岡越中北町」と同じ)

細川藤孝は足利義昭に仕え、その後流寓(リュウグウ)。

永禄11年(1568)織田信長に働きかけ義昭を室町幕府15代将軍に擁立させる。

天正元年(1573)信長に属し、同8年丹後国を与えられる。

同10年本能寺の変の後出家。

藤孝の長男忠興は本能寺の変の際、妻ガラシャが明智光秀の娘であったため光秀に招かれたが受けず、かえってガラシャを幽閉して豊臣秀吉に従った。

文禄2年(1593)文禄の役で朝鮮に出兵。

秀吉の死後は徳川家康に従い、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで軍功をあげ、豊前国中津39万5千石の藩主となり、同7年豊前国小倉39万9千石に移封。

また大坂の陣にも参陣し戦功をおさめた。

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